2018年9月17日月曜日

バルト三国の旅 2018 4 ヴィリニュス Museum of Occupations and Freedom Fights (KGB Museum)



Holocaust Exhibition (The Green House)から歩いて、
KGB Museum(KGBミュージアム)へ。

通名はKGB Museumだけど、正式名称は、
Museum of Occupations and Freedom Fights

10:10くらいに着。

入場料を払おうと思ったら、
「今日は無料よ」と。


その時はなんでなのか分からなかったのだけど、
行った日は、8月23日。
「人間の鎖」の記念日だったからなのだと思う。




バルトの道(バルトのみち)とは、1989年8月23日に、ソビエト連邦の統治下にあったバルト三国エストニアラトビアリトアニア)で、独立運動の一環として行われたデモ活動人間の鎖のひとつ。

























職業と自由の戦いの博物館(KGB博物館) グーグルさん翻訳

虐殺博物館はおそらくビリニュスで最も暗いです。その元の体育館が1941年にリトアニアのナチス占領中にゲシュタポの本部になったとき、その血まみれの歴史が始まった。
KGBは、リトアニアがソビエト連邦から独立した1991年まで滞在していたが、1944年にナチスが去ったとき、ソビエト連邦警察 - KGB - に再び占領された。
博物館は2つの部分に分かれています。上の2つの階は、ソ連占領者に対するリトアニアの党派の抵抗、シベリアへのリトアニア人の移住、そしてLTSRの日常生活を記録しています。博物館のもう一つの部分は、刑務所の細胞、地下室の執行と拷問の部屋です。
冷静に、細胞は、1991年にリトアニアを離れるとKGBの役人がそれをどのように去ったかとまったく同じです。
リトアニアでのKGBの活動に興味がある人は、Tuskulėnai荘園の庭園も訪れてください。住所:ŽirmūnųSt. 1 F、電話:+370 5 275 0704、+370 5 275 1223、詳細はwww.genocid.ltを参照してください
その根拠は、ビリニュスの内装刑務所で、KGBの前身であるNKVD / MGBによって拷問された人々の身体が、1944-1947の間に埋葬された場所である。























地元の方と思われるお母さんが、
小さな子供達を連れて来ていた。
ちょうど同じタイミングで回っていたのだけど、
丁寧に一つ一つ説明していた。































なんかの撮影してた。























部屋全部が布張りの部屋。

なんも聞こえない。なんも見えない。
壁に体を打ち付けても怪我もしない。




























ここから、別棟。
地下の執行室。






















再現映像が流れています。























ストリートビューで見ることが出来ます









運動場。















































外は、こんな素敵な外観の建物。
中は・・。












1時間半ほど滞在して移動です。


http://negatives-erbe.travel.coocan.jp/baltic/kgb.html
この方のブログがとても分かりやすいと思います。


〜つづく〜

バルト三国の旅 2018 もくじ


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