現代のフランスを代表する作家、クリスチャン・ボルタンスキー(1944年-)の活動の全貌を紹介する、日本では過去最大規模の回顧展です。作家は1960年代後半から短編フィルムを発表、1970年代には写真を積極的に用いて、自己や他者の記憶にまつわる作品を制作し、注目されます。1980年代に入ると、光を用いたインスタレーションで宗教的なテーマに取り組み、国際的な評価を獲得。その後も歴史や記憶、人間の存在の痕跡といったものをテーマに据え、世界中で作品を発表しています。
本展では、50年にわたるボルタンスキーの様々な試みを振り返ると同時に、「空間のアーティスト」と自負する作家自身が、展覧会場に合わせたインスタレーションを手がけます。
2019年6月12日(水)~9月2日(月)
会 場 国立新美術館 企画展示室2E
↓大阪展の方の概要
クリスチャン・ボルタンスキー(1944年-)は、現代のフランスを代表するアーティストのひとりです。1960年代後半より短編フィルムを発表し始めたボルタンスキーは、1970年代に入り、写真を積極的に用いるようになりました。人が歩んできた歴史や文化人類学への関心を土台とし、写真やドキュメントとビスケット缶などの日用品を組み合わせることで、自己あるいは他者の記憶に関連する作品を多数制作し、注目を集めます。1980年代に入り、明かりを用いたインスタレーションを手掛けるようになったボルタンスキーは、子どもの肖像写真と電球を祭壇のように組み合わせて展示した「モニュメント」シリーズ(1985年-)で宗教的なテーマに取り組みます。それを発展させた《シャス高校の祭壇》(1987年)は、1931年にウィーンの高校に在籍したユダヤ人の学生たちの顔写真を祭壇状に並べ、その写真を電球で照らすというものでした。肖像写真を集めて展示する手法は、大量の死者の存在、具体的にはナチス・ドイツによるユダヤ人の大虐殺とその犠牲者のイメージを想起させるものとして解釈され、大きな議論を呼びました。第二次世界大戦期のユダヤ人の大虐殺は、ユダヤ系の父を持つボルタンスキー自身の問題とも結びつきます。パリのグラン・パレの広大なスペースを生かし、大量の衣服を集積させた《ペルソンヌ》(2010年)など、その後もさまざまな手法によって、歴史や記憶、そして死や不在をテーマとした作品を発表します。
1970年代からドクメンタ(ドイツ・カッセル)やヴェネチア・ビエンナーレなどの現代美術国際展に招待され、活躍の場を世界各地に広げたボルタンスキーは、日本でも、越後妻有アートトリエンナーレや瀬戸内国際芸術祭などで積極的に展示活動を行い、2016年には東京都庭園美術館で個展が開催されました。
国立国際美術館、国立新美術館、そして長崎県美術館の3館が共同で企画する本展は、ボルタンスキーの初期作品から最新作までを紹介する、国内初めての大規模な回顧展です。1970年代から近年までのボルタンスキーの様々な試みを振り返ると同時に、ボルタンスキー自身が「展覧会をひとつの作品として見せる」と語るように、作家自身が会場に合わせたインスタレーションを手掛けるという構想のもとに企画されました。半世紀を超える作家活動を経て、いまなお、積極的に創造を続けるボルタンスキーの広大なる芸術世界を紹介いたします。
作家略歴
1944年、パリ生まれ。写真や身分証明書といった記録資料と衣服や文房具といった日用品を組み合わせることで、自己あるいは他者の記憶に関連する作品を制作し、注目を集めるようになる。子どもの肖像写真と電球を祭壇のように組み合わせた「モニュメント」シリーズ(1985年-)や、大量の衣服を集積させた《ペルソンヌ》(2010年)など、現在まで一貫して、歴史や記憶、死や不在をテーマとした作品を発表している。
2006年、高松宮殿下記念世界文化賞受賞。
率直に言うと、東京都庭園美術館での展示のほうがよかった。
確かに回顧展としての今回のほうが規模は大きくて、
作品も大きな作品を展示できていいのだけれど、
会場と、ボルタンスキーの表現したいことの総和性でいうと、
庭園美術館は本当によかった。
「歴史や記憶、そして死や不在をテーマとした作品」
がメインテーマである作品が、
現在は美術館として利用されているけど、
そこにいた人はもういなく、「不在」の建物となった朝香宮邸で、
行き来した人たちの記憶とともに鑑賞できたのは良かったと。
箱もの美術館より、
本当はこういうところで展示されるのが作品の本望だろう。
作品自体は、
ホロコースト関係の施設を結構見て来ている私としては、
ホロコースト関連施設の展示を、
「少しアート化」している感じにしか見えないのが残念なんだけど、
逆に考えると、
ボルタンスキーの影響で、
今日のホロコースト関連施設の展示に変化があったのか、とも思う。
ボルタンスキーが好きならば、
アウシュビッツは見に行くべきかと。
アウシュビッツは見に行くべきかと。
私は、展覧会は見には行っているけれど、
ボルタンスキーはホントはそんなに好きではないです。