4アウシュウィツの女囚(106分・35mm・白黒)
OSTATNI ETAP
→「NFC所蔵外国映画選集2016」より
- 2017年7月8日3:00 PM@小ホール
- 2017年7月14日2:00 PM@小ホール
第二次世界大戦中、アウシュヴィッツ収容所に送られたマルタ(ドラピニュスカ)は、通訳に任命されたため処刑をまぬがれる。監視役としてナチに積極的に協力する者もいるなか、何人かの仲間たちとともに抵抗運動を組織するが…。ポーランドの女性監督ヤクボフスカは、実際にアウシュヴィッツに収容されていた。ホロコーストを主題とした映画の先駆けであり、強制収容所を描く多くの作品に、現在に至るまで影響を与えている。部分的にアウシュヴィッツでもロケされた。
解説
戦後はじめてわが国に紹介されるポーランド映画で、アウシュヴィッツ収容所におけるナチスの残虐行為を描くもの。監督は女性のワンダ・ヤクボフスカ、脚本はヤクボフスカとゲルダ・シュナイデルの共同である。撮影はソビエトのカメラマン、ボリス・モナスティルスキーが監修した。出演者はワンダ・バルトウナ、ユゲット・ファジェ、タチアナ・ゴレッカ、アントニア・ゴレッカ、バルバラ・ドラピニュスカ、アレクサンドラ・シュロンスカなどである。
ストーリー
第二次大戦中、ポーランドのアウシュヴィッツには、ナチスのユダヤ人・政治犯収容所があり、ガスによる大量虐殺が行われた。その一角には女子収容所があり、捕虜達は虐殺を待つ間、強制労働に使われていた。一九四三年初春、新たに送り込まれたマルタ(バルバラ・ドラピニュスカ)は、ドイツ語が出来るので通訳にとられたおかげでガス室行をまぬがれ、女医エフゲニア、衛生係アンナ、赤ん坊を軍医に殺されたヘレン(ワンダ・バルトウナ)等と抵抗運動を組織した。ナチスの女収容所長(アレクサンドラ・シュロンスカ)は、ユダヤ人虐殺の意義を強調し、ガス工場を拡張してさらに大量虐殺を命じた。人選が行われ、日々トラックで犠牲者は連れ去れる。マルタを始めアンナ達は、役づきのおかげで生残り、外部から情報を持込み、男達の捕虜と連絡をとるが、或日エフゲニアは視察に来た国際赤十字の視察団に収容所の実状を訴えた為、捕えられて殺された。その代りに来た女医ラルニアは、自分の不正をアンナに見破られたのを怨み、彼女を密告した。しかしドイツ軍は全線で敗退し、犯罪証拠抹殺の為に、更に全捕虜虐殺を計画する。その計画妨害の為、マルタは収容所を脱出して外部と連絡するが、ドイツ軍に捕えられ、絞首台に追いやられた。その時、空をおおってソ連の爆撃機が襲いかかった。
一応DVDにもなっているみたいですね。
ググったら、当時のパンフが出てきたんだけど、
「アウシュヴィツ解放10周年」ってなっていて、
(1945年1月27日にソビエト連合の赤軍によって解放)
1955年8月9日公開だそうです。
「アウシュヴィツ解放10周年」ってなっていて、
(1945年1月27日にソビエト連合の赤軍によって解放)
1955年8月9日公開だそうです。
たった10年後にこんな映画が作られたんですね。
フィルムセンターの説明文だと、1948(フィルム・ポルスキ)ってなっているんだけど、
3年後には作られていたってことなのかなー?
アウシュヴィツには行って来たけれど、
あの建物がこうやって使われていたのかと。
剃髪のシーンがあるんだけど、
あの髪の毛はこうやって集められたのかと。
あのトランクの数々も。
剃髪のシーンがあるんだけど、
あの髪の毛はこうやって集められたのかと。
あのトランクの数々も。
映画自体が現地で撮影されているし、
尋ねた時の記憶と照らし合わせて、
本当にひどいことだなと。