2014年10月5日日曜日

ヤン・カルスキ 「私はホロコーストを見た」 シンポジウム


ヤン・カルスキ 生誕100周年記念 シンポジウム 

私はホロコーストを見た ヤン・カルスキの黙殺された証言


ヤン・カルスキ 生誕100周年記念 シンポジウム

イベント, その他
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ヤン・カルスキの黙殺された証言 「私はホロコーストを見た」 シンポジウム
2014年9月27日(土) 15:00 (14:00開場)
青山学院大学17号館6階  本多記念国際会議場
パネリスト: C. シュピルマン、池内紀、國分俊宏、割田聖史
http://instytut-polski.org/event/4872/

ポーランドにおいて2014年は「ヤン・カルスキ年」。20世紀の最も傑出したポーランド人の一人で第二次世界大戦の英雄、諸民族の中の正義の人、アメリカ合衆国市民、イスラエル名誉市民、そして今日一般的な定義によれば、「ホロコーストを押しとどめようとした人間」であった彼。ヤン・カルスキの黙殺された証言に、耳を傾けてみませんか。

事前予約: 青山学院の学生は karski100@sccs.aoyama.ac.jp より。
他校の学生及び一般の方は、氏名・住所・電話番号・年齢・職業をご明記の上、
下記サイトからご応募ください (件名に「ヤン・カルスキ  シンポジウム参加希望」と記入):
tokio@instytutpolski.org
お問い合わせ: ポーランド広報文化センター Tel. 03-5794-7050 

シンポジウムの登壇者

クリストファー W.A. スピルマン/ Christopher W.A. Szpilman
1951年、「戦場のピアニスト」のモデルになったピアニスト、ヴワディスワフ・シュピルマンの長男としてポーランド、ワルシャワに生まれる。18歳でイギリスに渡り、ロンドン大学日本語学科卒業、エール大学で日本近代政治思想史専攻。その後、1995年に日本での教員生活をスタートする。拓殖大学客員教授を経て、2005年から九州産業大学国際文化学部教授。著書に「満川亀太郎書簡集-北一輝、大川周明、西田悦らからの書簡」論創社(共編著)など。

池内 紀 (いけうち・おさむ) 
1940年、兵庫県姫路市生まれ。ドイツ文学者、エッセイスト。主な著書に「ゲーテさんこんばんは」(桑原武夫学芸賞)、「海山のあいだ」(講談社エッセイ賞)、「二列目の人生」、「恩地孝四郎」(読売文学賞)などがある。訳書は「カフカ小説全集」(全6巻、日本翻訳文化賞)、「ファウスト」(毎日出版文化賞)など。山や旅、自然にまるわる本も多い。

國分 俊宏 (こくぶ・としひろ)
1967年、和歌山県海南市生まれ。早稲田大学第一文学部卒、同大学院文学研究科修了。専門は現代フランス文学。訳書に、フランソワ・ボン「ローリング・ストーンズ ある伝記」、ロベール・マッジョーリ「哲学者たちの動物園」、アンヌ・ヴィアゼムスキー「少女」などがある。青山学院大学国際政治経済学部教授。

割田 聖史 (わりた・さとし)
1972年、埼玉県生まれ。専門はドイツ・ポーランド近代史。19世紀のプロイセン=ドイツ領ポーランドを対象に研究を行っている。著書に「プロイセンの国家・国民・地域-19世紀前半のポーゼン州・ドイツ・ポーランド」(有志舎、2012年)がある。青山学院大学 文学部 史学科 准教授。
10月にポーランドへ行く予定を立てたので、
すこしでもポーランドのことを知りたいなと思い参加してきました。

2時間は短かったなと。
間に10分くらいの休憩を入れて、
3時間でも良かったのではないかな。

ツィリル・コザチェフスキ 駐日ポーランド共和国大使の挨拶もあり、
とても興味深い内容となっていました。






















「戦場のピアニスト」のモデルとなったヴワディスワフ・シュピルマン氏の長男、
クリストファー・シュピルマン氏は、
「僕にとって父は英雄ではなかった。運がいい男だった。
周りも良き人物に恵まれ、裏切られることもなかった。
沢山の人に助けられた父は、運がいい人だったってことだが、
ヤン・カルスキは、『真の英雄だ』」と話されていました。


以下メモ。

「カルスキは、たくさんの犠牲のもと、助けてくれた人によって生きている」 

「英雄を必要と知る時代は不幸な時代だ」

「国はなくなっても政府は存続する。目には見えないポーランドがあった」

「ポーランド人の中に強い反ユダヤ意識がある(映画シュアー)←これはデマだよ!」

「ドイツ人もナチスも、恐怖を主体とした協力な力、政治構造。
恐怖の前線にいた軍人たちはこの構造の中で働くしかなかった。
集団の中で出世競争をする。自由を許さない。
命令されたことをやっただけ、義務だった。やらないと死刑」


「私はホロコーストを見た」は、自分の記憶だけで書かれた。

「実在の人物をカモフラージュして描かないといけない」
「ソ連を批判してはならない」
「アメリカでの出版には制約がある」この3重苦があった。


ホロコーストを語ることは出来るのか?
→受けた方は、死んでいる。話したがらない。やった方は話したくない。
→語ったのが、「ヤン・カルスキ」や「スピルマン」だった。
























いただいたホロコーストについての資料が、
とっても分かりやすいので、張っておきます。
























終わってから、片付け始めているところだったけど、
国連ビルのところでやっていた、
ファーマーズマーケットを初めてのぞいてみた。
ちょーいいね。
空心菜はお安くしてもらえなかったけど、1束150円。
満願寺唐辛子は250円。
お米は、マスで山盛り3杯分と、おまけで一杯分で300円!

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