kei@のブログ

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たぶん日常。きっと日常。 アートとか音楽とか旅とか ~日々の記録~

2017年4月8日土曜日

大阪と奈良に行ってきた2 1日目、2日目 ② 大阪城と通天閣


万博公園から大阪城へ。


天満橋駅で降りて歩いたのですが、
まぁ、遠いこと遠いこと。





















やっと城門が見えてきたよ。
























せっかくなので昇りました。
8階建てで、8階が天主閣なんだけど、
エレベーターは5階まで。
あとは階段。

足が不自由な人や障害がある人は、
特別に8階までエレベーターを使うことが出来るので、
係の人に声をかければよい。


荷物はチケット売り場の横で100円で預かってくれる。
スーツケーツもOK。























3階、4階部分の展示は、写真を撮っちゃいけないんだけど、
外人さんは撮りまくっていた。

鎧とか、刀とかとりたい気持ちはわかるけど、だめよ。


























結婚式の前写真を撮っている方が2組。

わたしは、こちらの白無垢の方の方がすごいし、
きれいだと思うんだけど、
もう一方の派手なピンクの着物の方が外国の方々の写真の餌食に。




















こちら、餌食の人。人だかり。






















重要文化財「多聞櫓・千貫櫓・焔硝蔵」の特別公開
行なわれていたので、こちらも見てきた。

.特別公開する重要文化財
     (1)多聞櫓(たもんやぐら)
     (2)千貫櫓(せんがんやぐら)
     (3)焔硝蔵(えんしょうぐら)

(1)多聞櫓(たもんやぐら)
大手口桝形の石垣の上に建ち、二の丸への出入口となる大門を組み込んだ構造をしている。
多聞櫓とは、塁上に築く細長い長屋状の櫓を指す形式の名称で、由来は、松永久秀(1510~1577)の居城である大和国の多聞城において、初めてこの形式の櫓が築かれたことによると言われている。
大阪城の多聞櫓は寛永5年(1628)に創建され、天明3年(1783)に落雷で焼失したが、嘉永元年(1848)に再建、昭和44年(1969)に解体修理が行われ、現在に至っている。
構造は、大門をまたいで東西方向に立つ渡櫓と、その東端部から直角に折れ曲がって南へ伸びる続櫓からなり、渡櫓には、板張りの部屋が3室続き、中央の部屋が一番広くて約70畳敷、両側の部屋は各々約50畳敷の大きさがある。続櫓には、西側(大手口に面した側)に銃眼を備えた笠石の並ぶ約2.7mの板張り廊下が真直ぐに伸び、その廊下に面して東側に9畳・12畳・15畳の部屋が合計6室並ぶ。
なお、渡櫓には、大門の頭上に「槍落し」の装置があるが、これは敵の侵入に備えて設置されたもので、大門から進入しようとする敵を頭上から槍などを落として防御するためのものである。
○構造形式     矩折一重(一部楼門)、本瓦葺
○面積     710.25㎡
○重要文化財指定     昭和28年(1953)6月13日
(2)千貫櫓(せんがんやぐら)
大阪城の大手口を守る重要な隅櫓のひとつ。元和6年(1620)に小堀政一(遠州)の設計監督のもとで創建されたもので、昭和34年(1959)から実施した解体修理の際、土台の木材から「御はしら立 元和六年九月十三日」の墨書が見つかり、この櫓の柱立式の日が明確となった。現存の大阪城公園内の古建造物の中で、乾櫓とともに最も古いものである。
千貫櫓は、かつて大阪の地にあった本願寺を織田信長軍が攻めた時、本願寺のある隅櫓からの横矢に悩まされ、「銭千貫文出しても取りたい櫓だ」と言わせたことから、後にこの櫓を人々が千貫櫓と呼ぶようになったと伝えられており、後世の櫓にも同じ名が引き継がれている。
内部は、1階・2階とも回廊の内側に4室ずつの天井板張りの部屋がある。
○構造形式     二重二階、本瓦葺
○面積   1階 … 217.26㎡
          2階 … 162.95㎡
     延べ … 380.21㎡
○重要文化財指定     昭和28年(1953)6月13日

 ●小堀政一(遠州)〈1579~1647〉
江戸初期の大名、茶人。近江国の人。
豊臣氏のちに徳川氏に仕え、作事奉行・伏見奉行などを歴任。
遠江守であったので遠州と称した。茶道の遠州流の祖で、徳川家光の茶道師範。
和歌・書・生花・建築・陶磁・造園にも秀でた。

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OLYMPUS DIGITAL CAMERA ←千貫櫓(内部)

%e5%a4%9a%e8%81%9e%e6%ab%93%ef%bc%88%e5%86%85%e9%83%a8%ef%bc%89 ←多聞櫓(内部)

(3)焔硝蔵(えんしょうぐら)
徳川幕府が、鉄砲や大砲に使用する焔硝(火薬)を保管した蔵で、現在の焔硝蔵は貞享2年(1685)に建造されたもの。焔硝蔵はそれ以前にも城内に数か所あったが、青屋口にあった土蔵造りの焔硝蔵は万治3年(1660)に落雷を受けて大爆発を起こし、また別の場所にあった半地下式の焔硝蔵も部材の腐食よる建て直しがたびたびなされるなど、幕府は焔硝の有効な保管方法に苦慮していた。
そうした課題を克服すべく、この焔硝蔵では耐火・耐久・防水に特に工夫がこらされ、床・壁・天井・梁(はり)をすべて花崗岩(かこうがん)とし、石壁の厚さは約2.4メートル、屋根の下は土で固められている。面積は約171.90平方メートル、高さは約5.4メートルで、こうした石造りの火薬庫はわが国では他に例がない。
○構造形式     石造一重寄棟造、本瓦葺
○面積     171.90㎡
○重要文化財指定     昭和28年(1953)6月13日
%e7%84%94%e7%a1%9d ←焔硝蔵












お値段が高めなので、見学客は少なめ。




























桜はまだだったなー。
























力尽きて、焔硝蔵間では見に行く気になれず。

これだけ離れていて遠い。






通天閣に移動します。

本当は戎橋のグリコを見ようと、
大阪城の後に行こうと思っていたんだけど、
思った以上に歩きが多いし、
疲れてしまったので断念して通天閣へ。



大阪城の一番近くのバス停から乗ったんだけど、
これまた、最寄りのバス停が遠い。

疲れたわ。

























やっとついたと思ったら、
なんと!
2階から展望台のフロアまでのエレベーターに乗るために、
40分待ち!!

まじか・・・。

ここまできて諦めるのもなんなので、
仕方がないので待ちました。

でも、そこは大阪、
待ち時間も商売を仕掛けてきますよ。

写真をとって売りつけてきます。
1枚1000円のよくあるやつですね。























でー、


じゃん!

ベリケンさんいた!!


























30分くらい楽しんで、
さすがにお腹が空いたので、
通天閣近くの街をきょろきょろ。

























あまり繁盛している感じではないけど、
うるさくなさそうな感じの店をチョイス。

カスうどんと、串揚げ2本、食べました。
カスうどんってこんな感じなのか。



















残念石。























よく見る風景をパチリ。










新今宮駅から奈良駅へ向かいます!

後から、大阪出身の人に聞いて気が付いたんだけど、
この新今宮駅の反対側からが、いわゆる「あいりん地区」だったのね。

通天閣周辺も、今は観光地化されてきたけど、
ちょっと前まではひどかったそうです。


〜つづく〜

大阪と奈良に行ってきた もくじ