2013年9月21日土曜日

しもきたざわきゅう 9/20

"Anniversary of 19th CLUB Que Shimokitazawa
[十究極!MIRAI-SEINEN 感謝祭!!]"
ダブルオー・テレサ/フリサト/福井コウダイwithマーシー






















ダブルオーテレサが復活するってことで見に行ってきました。

入ろうと思ったら、
一階のファーストキッチンのテラス席で、
メンバー4人そろっていてビックリした。
これ、この位置、
話しかけられるの狙ってるよねっていう位置なんだもんw

上野くんと大塚くんはかなーーーりのお久しぶりのご挨拶。
ドラムサポートの方が、現totosのドラムの柳沢さんとのことで、
これまたビックリ。
(初代ドラムの横尾くんが古くからの知り合いなのでね)

植木くんは3月に新宿マーブルで見ているので、
半年ぶりですね。
その時よりもだいぶ元気そうでよかった。

村田くんがいなくて残念だったけど、
こうやって復活して、今後もマイペースに続けて行くみたいで、
嬉しいことです。























ソカバンを始めたり、
セッチューとかに出たりしていた頃には、
見に行かなくなってしまっていて、
解散ライブは行かなかった。
記憶があいまいなのだけど、
地元にいたし、行けなかったのだと思う。

宇都宮で曽我部さんがバックバンドを
ダブルオーでライブをした時に見に行かせてもらった。
植木くんのソロは、荒川フェスとかでちょこちょこ見ていたけど、
バンドとして、ダブルオーを見たのはそれ以来かもしれない。

初めて見たのは、
まだ彼らが20歳そこそこの時で、
若いだけが取り柄、勢いが取り柄ぐらいの感じだったけど、
それがよかったし、そういうのが受け入れられていた時代だっと思う。

当時好きだったバンドのライブを見に行くと、
必ず、上野くんと植木くんと2人揃ってチラシを配りにきていて、
「なんだ、このかわいこちゃんたちは」
と思ったことを記憶しているw
当時好きだったバンドのライブのたびに、本当に毎回来てチラシを配っていたので、
「じゃ、見に行ってみよう!」と思って見に行ったんだ。


それからちょこちょこ見に行くようになって、
私が、地元のライブハウスで働くようになり、
企画を持たせてもらえることになって、
初めて誘ったのがダブルーオーでした。

下北とか、渋谷でやっているようなバンドさんに、地方でやってほしくて、
宇都宮という立地だと日帰りできるし、
今後ツアーに出てみたいととか、
地方でもやってみたいけど、まだちょっと自信無けど、
知ってるバンドと一緒なら、、といった
様子見的な感じのバンドさんを集めてイベントやりたいなー
ってのがきっかけでした。

「ツアーまでは出来ないけど、地方の反応を見てみたい」バンドさんや、
「都内には見に行けないけど、宇都宮なら見に来られる」というお客さんに、
「地方でも下北とか渋谷の空気感を感じて欲しい」と、
そういった考えからスタートさせた企画でした。

当時はまだ、ビジュアル系、パンク系が主流で、
いわゆる渋谷系のバンドが地方でライブをすることがほぼ無かった。
集客も見込めないし、パンク系のように、
ばりばりツアーを回ってファンを増やすって感じではなかったからね。

この企画の私の絶対条件は、
宇都宮初ライブのバンドが必ず一バンドいることだった。

そんな博打的な企画に、
一番最初にOKを出してくれたのが、ダブルオーだった。
初めてこの企画をした時は、
まだ、ベリテンもなかったし、
いわゆる渋谷系のバンドのイベントも無かった時代。
地方でこういう企画は無謀だったと思う。

ライブハウスの壁に貼ったこの企画の告知ポスターを見て、
他の公演で来ているイベンターさんに
「このメンツで客入るの?」「誰が企画したの?」
と、何人に聞かれたか。

その後、働いてる間に何回かこの企画をやらせてもらったのだけど、
ダブルオーがOKを出してくれたから、
「ダブルオーが決まってるならいいよー」って感じで、
その後のブッキングが上手く行ったし、
企画が続いたと思っている。


感謝しています。


「宇都宮、下北沢化計画」は、成功だったのか失敗だったのか、
どうなんだろうねw

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